SQUEEZE in JAPAN
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◆ スクイーズ来日公演メモリアル ◆

こちらはスクイーズの過去の来日公演をグッズやコラムで振り返るコーナーです。
私の個人的なこともたくさん書いていますが、見ていて楽しいレアなグッズも充実させているつもりです。どうぞごゆっくりお楽しみください。



初来日 1994年

スクイーズ・デュオ 1997年

グレン・ティルブルック 2015年
グレンのソロ来日公演は現在のところ2015年のみのアップとなっています。その気になれば残りの公演も分かる範囲で整理したいと思いますが…時期は未定です

来日公演 2016年



〜 スクイーズの初来日を振り返って 〜

スクイーズ来日という「事件」


SQUEEZEが来日する!


これは当時の日本のファンにとっては一大事件でした。

初期の頃からのファンという大先輩の方々は、それこそ十数年にわたって来日を待ち焦がれていたと思いますので、私などのようなキャリアの浅いファンの思いとは比べ物にならないとは思いましたが、それでもしかし初めて聴いたその日からのめり込み、最も好きなミュージシャンとして真っ先に答えが出てくるバンド、それがSQUEEZEだったのですから、それは大事件でした。

当時はバンドの詳しいキャリアやディスコグラフィー等、詳しい情報を知る方法がなかったので、私が来日を知ったのは本当に偶然だったのです。

その瞬間は今でも鮮烈に脳裏に焼きついています。それは、今も愛読している「レコードコレクターズ」という月刊音楽誌の来日アーティスト情報コーナーで「スクイーズ」の一文字を見つけたことから始まりました。
しかし、当時の私は読みたい特集が載っている号しか購入しないことにしており、たまたま掲載されていたビートルズの「プリーズ・プリーズ・ミー」の特集に救われたのです。
ですから、私は今でも「ビートルズがスクイーズの来日を教えてくれた」と思っています。

しかし、それまで日本ではそのポップな音楽性に似合わず「カルト的な存在」とさえ言われていたSQUEEZE。
日本において知名度はあまりにも低く、万が一来日したとしてもまともな動員は見込めないといわれ続けていたSQUEEZE。そのSQUEEZEが日本に来る??
初めは「スクイーズ」が本当に「あのSQUEEZEなのか?」と疑っていました。

「そういえば、アメリカやオーストラリアにも同名のバンドがいたんだよな。そのスクイーズかな?」などと思っていました。

ただ、英国ファンクラブに入っていたファンの方は、そちらの会報で正確な情報を入手されていたようですね。それでもにわかには信じられなかったという話も聞きましたけど(笑)

しかし、自分なりにいろいろと情報を集めていくうちに、どうやら「あのSQUEEZE」の来日だという結論になりました。
あとはチケットをなんとしてでも入手しなければなりません。
公演は東京、大阪、名古屋の3都市のみ。私が当時住んでいた某地方都市などには来るはずもありません。必然的に遠征となり、私の街から一番近い名古屋公演を狙うことにしました。

当時の私はまだ若く、世間知らずだったものですから、会場の「クラブクアトロ」というところがどんな場所かさえも全く分かりませんでした。
「クラブ」という名前からすれば、それほど広い場所ではないことはなんとなく想像がつきますが、それでも当時の私は「ホールのようにだだっ広いところなのか?それともライブハウスのような狭い場所なのか?」といろんな思いを馳せていました。

チケットを入手して書かれた情報をみると、どうやら全自由席とのこと。この時点で「席は決まっていないので、早く行けばいい場所で観れる!」と考えました。

このときのことを書くのは本当に恥ずかしいのですが、恥を忍んで書くと私は公演の前日から寝ることさえままならず、居ても立ってもいられない状態でした。



私がSQUEEZEの来日を知ったレコードコレクターズ94年2月号の来日アーティスト情報欄
ビートルズが導いてくれた幸運!




AM5時のパルコ


そしてまともな睡眠もとることなく、ついには朝の5時には会場に向かって出発してしまったのです!
しかし、ご存知の方も多いと思いますが、クラブクアトロはパルコの中にあるお店でして、つまりパルコが開かないと当然クアトロにも行くことができないのです。
しかし、当時の私にはそんなことより、「今日SQUEEZEに会える!」という思いだけが私を突き動かしていたような気がします。

そんな感じで早朝6時にもならないうちにパルコの前に着いたのですが、すでに何人かの若い女性が店のドアの前に張り付いているではありませんか??
「この人たちもSQUEEZEか!?」と緊張が走りました。
結果的にこの人たちはSQUEEZE目当てではなく、当日朝一番に発売されるアイドルグループか何かのチケットのために並んでいたようです。
こんなに早くに来なくても…と思いましたが、そんな自分も目的は違えど同じことをしているわけで…。

そんなわけで、朝の6時からパルコ開店の10時(だったかな?)まで数時間をそこで過ごすことになったのです。
当時は2月でしたから、朝の6時はまだ真っ暗です。
そんな中、ひとりで温かいコーヒーを飲んだり、タバコを吸ったり(今は完全禁煙)しながら、SQUEEZEのライブに思いを馳せていたことを思い出します。

彼らは欧米では大きな会場のチケットを即日ソールドアウトにするほどの大物です。
いくら日本では知名度は低いとはいえ、やはり大物ミュージシャン的な振る舞いをするのではないか?つまり、そう簡単にはファンに姿を見せてはくれないだろう、会場入りするときも関係者用の裏口から、ファンに気づかれないように入ってしまうのだろう、と考えていました。
もしかすると人目を避けて、今の時間に会場入りするかも…そうすれば会ってサインをもらうことができるかも…などと、本当に書くのも恥ずかしいくらいバカなことを考えたりしていました。

そのとき私は彼らが来日することなどめったにないと思いましたし、何よりも動員によっては今回が最後になるかも!とも思いましたので、何としてでも会ってサインが欲しい!と思い、当日はペンと私が初めて手にしたSQUEEZEの思い出のCD「SINGLES 45's and under」をカバンに忍ばせていたのです。

しかし、正直なところこれほどの大物ミュージシャンにそう簡単に会えるとも思えず、期待半分でいました。

朝の6時から開店までの数時間…。長いといえば長い時間でしたが、しかし、あれこれと考えたり、思いを馳せることも結構楽しく、それほど苦痛には感じなかったように思います。

しかし、本当に長いのはパルコ開店から公演がスタートするまでの更なる数時間でした。

まず、パルコがオープンすると同時に最上階に近いクラブクアトロを目指して駆け上がりました。
すると、なんとすでに私の前に2人の方がいた…というよりも、クアトロ近くの階段に「SQUEEZE1番」「2番目取っています」などと書かれた紙が置かれていました。
そんなわけで、私はサインをもらうために用意したサインペンで「SQUEEZE3番目です」とクアトロのチラシの裏に書いて置いて、会場オープンまでの更なる数時間をパルコ内で過ごすことになるのです。

会場までは数時間ありましたが、それでも少なくともパルコを離れるわけにはいきません。
もしかすると、会場入りしてきたSQUEEZEご一行様と会えるかもしれないのですから…。

結果的には会場入りのためのSQUEEZEとは会うことはなかったのですが、まさか数時間後にクアトロ前が興奮のるつぼと化すと当時の私に想像ができたでしょうか?できませんでしたね。

今となっては、開場までの時間をパルコ内でどのように過ごしたのか記憶にないのですが、おそらくパルコ内のタワーレコードや楽器店、本屋などでそれなりの時間つぶしをしたのだと思います。また、食事もしなければなりませんでしたし。

そんな感じで時間つぶしをして、そろそろクアトロに戻ろうかと考えたのがおそらく開場1〜2時間くらい前だったように思います。



衝撃の出会いとマッキー


クアトロに戻ると場所取りをしていた階段にはすでに1番、2番目のファンの方(お二方とも女性でした)と、3番目の私に続く何人かのファンが集まっていました。
おそらく全部で10人前後だったように思います。みんなそれぞれSQUEEZEに対して熱い思いを秘めているのだろうと想像していました。

そんな中、クアトロの中からいきなり演奏が聴こえてきたのです!
これにはビックリしました。開演前にSQUEEZEの生サウンドを聴けるなんて!その演奏はリハだったのですが、まさかあれほどハッキリと演奏を聴けるとは思いませんでした。「あともう少しでSQUEEZEに会える!!」といっきに緊張感が走り、気持ちが高まってきました。

その演奏は「FOOTPRINTS」だったと記憶しています。ただ、演奏の一部とシンセのサウンドチェック的なものだけだったのでグレンやクリスの歌声は聴こえませんでした。もしくは、私の耳と心が「今、ここでは聴きたくない!」と感じていたのかもしれません。せっかくなので、本番までとっておきたいと思ったことも事実です。
まあ、リハの演奏を聴きたくなければすぐにその場を離れればよいのですが、そうすることもありませんでした(笑)

そんな様子でしばらくリハの音を聴いていたのですが、しばらくするとチューニングやサウンドチェックも終わったのか演奏がぴったりと鳴り止みました。

そして、その瞬間が訪れました。

なんと、リハを終えたSQUEEZEがクアトロから出てきたのです!
私はたまたま(?)クアトロの入り口のほうを見ていたので、そこから出てきたグレンと目が合ったことを今でも鮮明に覚えています。

私の予定よりは一足早かったのですが、ついにあの憧れのSQUEEZEと対面することができたのです!!
いうまでもなく、そこに居合わせたファンは大興奮となりました。

私は呆然となりながらも、グレンのもとに駆け寄って用意していた「SINGLES 45's and under」のCDとペンを差し出しました。
そして、クリスやベースのキースにもサインをお願いしました。

また、持っていた使い捨てカメラで彼らと一緒に写真に納まることに成功しました!本当に歓喜の瞬間でした!
その場にはドラムスのピート・トーマスやシンセのアンディ・メトカルフェもいたと思うのですが、私自身とにかくパニックになっていたので正直いってよく覚えていません。

ただ、そんな中で当時の私が後悔したことがたったひとつだけありました。
メンバーにサインをもらうときに持っていたペンが、なぜかゼブラの「マッキー」だったのです。

ご存知の方も多いと思いますがマッキーはその両端に「太」と「細」のペンが付いており、「太」の部分はとてもではないですがサインには適さない太さなんですよね。
そして、メンバーがCDにサインをする際に、その「太」のほうでサインをしてしまったのです…。
”してしまった”といっても、私がそんなペンを用意していることがそもそもの間違いだったんですけどね。

これまで「ペンをカバンに忍ばせていた」と書いてきましたが、実際には「油性マーカー」だったわけです。

そのようなわけで、私がSQUEEZEからもらった記念すべき初めのサインは、一見すると誰のサインかわからないくらい崩れたサインとなってしまったのです。
そういえばメンバーもかなり難しそうにサインをしてしたような気がしました。

そして、申し訳ないと思ったことが、その場に居合わせたファンの方の何人かは私のその「マッキー」でサインをしてもらっていたのです。結果は私と同じですよね。
それから3年後のSQUEEZEデュオとしての再来日のときにも名古屋クアトロで同じようにサインをもらうシチュエーションがあったのですが、そのときにサインをもらったファンのひとりが「グレンのサインってこんなに綺麗だったっけ?もっときたなくなかった??」と言っているのが耳に入ってきました。

…すみません。そのときのサインは間違いなく、私のマッキーで書いたサインだと思います。

しかし。しかしです。問題は「いかに綺麗なサインをもらうか」ではなく、SQUEEZEとの衝撃の出会いをサインとして書き留めてもらったという事実です。
ですから、その後何度かサインをもらうチャンスに恵まれるわけですが(特にグレン)、私が初めて買ったSQUEEZEのCD「SINGLES 45's and under」に書かれたあの「崩れたサイン」は、今でも私の中では特別な意味を持つものです。




3人のサインが書かれた「SINGLES 45's and under」と実際にサインに使用された「マッキー」
サインは上からグレン・ティルブルック、キース・ウィルキンソン、クリス・ディフォードのもの





サインを再び…

1997年の再来日のときには多くのサインをもらったのですが、その中で印象深いものをいくつかご紹介します。

HOPE FELL DOWN
「HOPE」の文字にクリスが大きく丸を付けてくれました。「希望を持って生きろよ!」というメッセージだと勝手に解釈しています…


HITS OF THE YEAR
こちらはアメリカのみでシングルカットされている「HITS OF THE YEAR」
クリスとグレンはこのジャケットを初めて見たようで、「このシングル、こんなジャケットなんだね」と二人で話していたのが印象的でした


ANNIE GET YOUR GUN
「ANNIE GET YOUR GUN」のスペイン盤。こちらのジャケも二人にはあまり馴染みがなかったようです
ただ、クリスはこの解散直前時の辛い感情がよみがえってきたのか「MOODY」(憂鬱な)とサインしています

「すべてに疲れてしまった。その一言につきるよ。レコーディングとツアーの連続でメンバーの誰もが消耗していたし、マネージメント側とのトラブルやキーボードプレーヤーが固定しないという問題もあった。それでプラグを抜くことにしたのさ」 (クリス:レコードコレクターズ 98年2月号より)


SOME FANTASTIC PLACE
誰もが名曲と認める「SOME FANTASTIC PLACE」。「STYLOROUGE」による美しく品のあるジャケットデザイン…のはずが、クリスの落書きでお茶目な印象に早変わり(笑)


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